サイゴン・タンゴ・カフェ/中山可穂

サイゴン・タンゴ・カフェ

サイゴン・タンゴ・カフェ

  ★★★★★
 待望の中山可穂の作品。と、えらそーに言ってもこれが三作目である。初めて読んだ作品は『弱法師』だった。このなかで作家と編集者の関係を描いた「卒塔婆小町」があまりにも強烈で、こんなすごい作家がいたのかと、その文章力と内容に眩暈を感じたほどだった。それほどまでに心酔した作家であったが、逆にその強烈さと世間での評判が、他の作品に手を出させるのを躊躇させてしまっていたというのも正直なところだった。作家がレズビアンであろうとなかろうと偏見はないつもりだが、それでも女同士の激しい愛憎相半ばする作品を読むのはやはり気が重かった。そんなとき、一転して毛色が違う、まあ要するにふつーの読者向けに書いてくれたのが、前作の『ケッヘル』だった。これは有難かった。ただし、今までの中山ファンにとっては不満な作品になったのではないかと思う。この辺りのことは、本書の表題作である「サイゴン・タンゴ・カフェ」を読んでいただければお分かりになるのではないだろうか。作中のレズビアン作家・穂積がまるで中山のようであり、いろいろと心情を吐露しているのが興味深いのである。
 さて、『ケッヘル』でモーツアルトをモチーフにして、鮮烈な余韻を残してくれた中山可穂だったが、今度はタンゴをモチーフにした短編集で、またしても濃密で抑えがたい激情で私を虜にしてくれた。とくに表題作の「サイゴン・タンゴ・カフェ」は素晴らしかった。深いため息とともに本を閉じたのである。正直に告白すれば、あとの短編4つはそれほど好きな作品ではなかった。
 最初の「現実との三分間」は、上司が横領の罪を主人公に着せて、それを主人公が受け入れるという話なのだが、そもそも横領うんぬんで、そこに愛と呼べるものが存在するものなのか。果たして数年後、彼女が受け入れた真意が、上司の葬式で香典を盗んだ後の「三分間」で明らかになるのだが、香典泥棒をして逃げているときに、別の女がちゃらちゃらと登場してきた時点でNG。愛であろうが憎しみであろうがどうでもよくなった。
 横領の罪を着せるという腹立たしいものを読んだと思ったら、次の「フーガと神秘」は母娘二代の因縁もの。これまた胸糞が悪くなるようなテーマをフーガの反復に重ねて描写していくのだが、封印してきた嫌な過去が、ふとした拍子に思い出され、相手に呪いの言葉をぶつけていくのは、仕方のないことだと思っても、やはり読むほうとしては気が滅入る。
 3つ目の「ドブレAの悲しみ」は、これは良かった。猫の一人称で語られる作品。猫語が理解できる殺し屋との関係も微笑ましかったが、構成の上手さとオチのつけ方でより良い作品になった。
 4つ目の「バンドネオンを弾く女」と最後の「サイゴン・タンゴ・カフェ」で、舞台がベトナムに移る。「バンドネオンを弾く女」は、夫の浮気相手と妻がひょんな縁でベトナムに旅行することになり、ホテルの部屋でしみじみと語り合うという話。過去を断ち切りたいと思う女の話がどうであれ、神秘的な香りがしたのは良かったかも。
 そんなメランコリックに物憂げに語られるこの短編集は、タンゴをBGMにしてだんだんとリズムを増していき、そして最後の作品の「サイゴン・タンゴ・カフェ」で止めの一撃を食らうのである。ベトナムに失踪した女性作家を訪れた、ある週刊誌の女性記者。20年前、作家と担当編集者との間にいったい何があったのか。二人の同性愛関係が気になって気になって、むさぼるようにして読んだ作品は、狂おしく、物悲しく、そして、愛おしかった。希望が感じられるラストも心地よく、まるでタンゴの情熱に振り回されて火照った身体を鎮めてくれたかのようだった。
 お薦め。