静かな爆弾/吉田修一

静かな爆弾

静かな爆弾

  ★★★★☆
 テレビ局でドキュメンタリー番組の制作している「俺」は、閉門しようとする公園で、ひとりの女性と顔見知りとなる。その女性は音のない世界にいた。いつしか彼女と恋人になり、音のない世界の住人がどういう在り場所にいるのかという驚きと心配をよそに、「俺」と彼女はメモ帳を介して会話をしていく。そんな緩やかな日常と並行して、バーミヤン渓谷の大仏破壊の真相を追っている「俺」の仕事は苛烈さを増していった。それゆえ「俺」は、彼女への気配りが後回しになり、気づいたときには、彼女からの連絡が途絶えていた。
 『悪人』から漂ってくるほどの激情は、本書にはない。しかし、本を閉じるとき、一片の言葉が棘となり、静かに静かに胸に突き刺さってくるのだった。なぜ本書を書いたのか、あるいは書かずにはいられなかったのか、静かな感動が押し寄せてくるのである。それは単に、耳の不自由な者との恋愛小説として本書があるわけではなかったからだ。「言葉」の必要性、役目、それをふたりの日常から、そして大仏破壊の真相を考えているうちに自ずと気づかされるのである。
 最初は、なぜ恋愛という甘い話のなかで、アフガニスタンタリバン政権による大仏破壊の真相を追うなんて話が挿入されているのかと訝った。状況はわからないのだが、何度も何度もしつこく出てくるのだから、何か意味があるのだろうとは思ってはいた。もちろんそれは、仕事が忙しくなって恋人との関係がぎくしゃくしていく状況を表していたのだと判る。と同時に、最小限の言葉だけで相手を理解することがいかに大変なことであるのか、そして言葉というものがどれほど大切なものなのかを知らせてくれたのだった。伝わらない思いが鬱屈して溜まっていくのは、もやもやとした気持ちだけが残り、泥が胸に溜まっていくようで、誰においても悲しいことなのである。
 大仏破壊のニュースを見たとき、もったいないなと思った。なんでこんな無駄なことするのかと。しかし、なぜタリバンが国際社会を無視して大仏爆破を決行したのか、その暴挙の意味を深く考えることはしなかった。それはアフガニスタンという国に対して無関心だったからだ。だから、そこで何が起こっているのか真剣に考えることはなかった。無知は恐ろしいし、無関心というのは、どんな状況においても危ういものなのである。それは、その半年後に起こった9.11同時多発テロ以降世界で起こったことを考えてみれば、推して知るべしなのである。蜜月の恋人でさえ、言葉が足りなかったり、伝える努力を怠っていたら、その関係はあっという間に足元からがらがら崩れ落ちていくのだ。異なる文明で生きる人々に対して「無関心」にならないというがどれだけ大事なことであるのか、この小説を読み終わって感じたことである。
 お薦め。