私の男/桜庭一樹

私の男

私の男

 ★★★★☆
 傑作、なんだと思う、たぶん。誰もがそう言うのだろう、きっと。だけどこの本が好きか嫌いかと聞かれたら、即答できる。わたしは嫌いだ。悲しいから。
 近親相姦に嫌悪があるかもしれない。閉じられた狭い世界に不満があったかもしれない。だけどそんなものを乗り越えて眩いばかりのきらめきを放っていた本書は、終盤あっけなく終わってしまっていた。自分の知りたいと切望したことが何一つして書かれてなかったのだ。あくまでも優しい。だけどそれは、悲しいこと。そしてだからこそ多くの人に読んでほしい、とも思う。
 9歳と25歳で出会った少女と男は、養子縁組をして親子になった。一緒に暮らして15年。明日は、娘・花の結婚式だ。父・淳悟は言う。「けっこん、おめでとう。花」と。「私の男」は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた。2008年の梅雨時の6月のことである。
 この物語は、暗い穴の中に落ち込んでいった父娘の話である。全編を覆っているのは、人間として越えてはならない一線を越えてむさぼりあい、魂の片割れとなった二人がどこまでも堕ちていく話である。なぜこんなことになったのか。二人は世間の目から逃れ、アパートの一室で息苦しくも淫靡な生活を行う。押入れの中には腐ったモノがビニールに包まれて押し込められているように、その関係は、腐りかけた果物のように匂いたち、男の匂いと女の匂いが文中からゆらめいていくのである。
 少々癖のある文体からエロティックで不穏な空気が漂ってくる。カサカサに乾いた皮膚がしっとり濡れていくように、二人は喜びで満たされていくのである。だが、奪い合う性愛がいつまでも続くはずがない。二人が抱えているある事情により、心はどうしようもない哀しみで溢れていくのである。だから花は、こんな腐れきった関係から逃げ出し、まっとうな家庭を築きたいと願うのである。
 なぜこの父娘がこのような関係になっていったのか。その理由を本書は時間を遡って徐々に明らかにしてゆくのである。第1章の現在から、第2章、第3章と、だんだんと過去に遡り、最終章で震災で一人ぼっちになった花を必死で探していた淳悟にわれわれは会うのである。そしてそこで、われわれは知ることになる。やっと花に会えた、と言う淳悟がいたことを。
 震災やオホーツクの冷たい海を背景に桜庭は、絶望を、他人との拒絶を、閉じられた世界の中で描いてみせたのだ。そこには哀れみも慈悲も同情も寄せつけない強い意思があった。だけど読者は最後に知るのである。ただただ、優しい、と。