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「チヨダ・コーキの小説のせいで人が死んだ」 猟奇的なファンによって、作品を模倣した大量殺人が行われた。それから十年。売れっ子脚本家・赤羽環は、クリエイターを目指している友人達に声をかけ、チヨダ・コーキと共に「スロウハイツ」での共同生活を始めた。しかし幸せな日々は、ロリータファッションを身にまとった新たな入居者、加々美莉々亜の出現によってゆっくりと変化を始める。
とびっきりの恋愛小説だった。それは、なんと言うことのない日常の日々が綿々と綴られていくだけなのに、こんな素敵な物語ができるんだなあ、という感じなのである。辻村は、登場人物の一人ひとりを丁寧に書き込むことによって、最後の最後で感動させるすべを知っているのだ。至るところに散りばめられた小さな謎が、最終章の「二十代の千代田公輝は死にたかった」で綺麗に回収される。その見事さに震えるほどの感動を覚えてしまうのだ。「お久しぶりです」という言葉。この何気ない言葉が極上の言葉となり、この物語を読めた幸せをしみじみ思うのだった。ああ、彼のこの想いを書きたかったのだな、と。いつも思うのだが、辻村は切り札を使うのが本当に巧い。
いや、色々と突っ込みたいところはある。あるのだが、しかし、そんなことはどうでもいいくらい素敵な物語だった。まったくのおとぎ話として読ませてもらったというのもあるのだが、この丹念に紡いでいったエピソードがラストで綺麗に纏まっていくのは、登場人物の彼らと同じように嬉しかった。
確かに、人物描写が巧くなったといっても、性格が綺麗すぎたり、生活圏が狭かったり、ご都合主義的だったり。あるいは、狩野壮太の目線で語られていても、赤羽環とチヨダ・コーキと狩野壮太の、誰が主人公なのかわからなくて戸惑ったりすることもある。だが隅々まで丁寧に記述していく手法は、読み手の想像力の幅を広げ、こんな気持ちをまだ持っていたのかと、嬉しくさえさせてくれる。無駄だと思う記述があったり、どうでもいい人物が出てきたり、また他の作品とリンクした人物まで出てきて、ごちゃごちゃした感はあっても、あらゆる伏線がラストへ向かって加速的に収束していくさまは、感動すら覚えるのだ。だから、わたしは辻村の作品が好きだし、いつまでも追っていきたいと思うのである。
お薦め。
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