ブラック・ダリア (文春文庫)
ジェイムズ エルロイ James Ellroy 吉野美恵子
文藝春秋 1994-03
asin:4167254042
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★★★★
エルロイ〈暗黒のLA四部作〉の第一作目である有名な作品。今秋10月にロードショーも公開されるので大いに注目されている作品でもある。遅ればせながら初めてのエルロイ作品。嵌る人には堪らない、そうでない人には得るところのない作品だと、真っ二つに分かれそうな作品である。という私はどうかというと、じつはこの中間のような状態にある。たぶんこのダリアが暗黒ロサンゼルスの序章だからではないだろうか。エルロイ作品が最高傑作と化けるのかそうでないかは、四部作を続けて読んでみないことには評価できないだろう。
さて本書である。この作品は、モチーフとなった「ブラック・ダリア事件」を通じて思わぬ方向へ駆り立てられ、過去に遡っていった人達の、情念の物語である。
ところで、世界的に最も有名な死体となったこの事件であるが、少し説明しておこう。1947年1月15日。ロサンゼルスの空地で若い女の全裸の惨殺死体が発見された。腰のところで二つに切断され、数フィート離されて転がっていたその死体は、内臓が抜かれて血抜きと洗浄がされ、まるでマネキン人形のようであった。身体中には残酷な仕打ちが加えられていたが、最悪なのは女の顔である。腫れあがって紫色の痣だらけ、鼻はつぶれて顔面にめりこみ、耳まで切り裂かれていた。
被害者は、エリザベス・ショート22歳。ハリウッド・スターの座に憧れて田舎から出てきたものの、端役にもありつけぬまま、お決まりのコースを辿って娼婦まがいのことをしていた娘である。漆黒の髪に黒ずくめの服装をしていたところから新聞は〈ブッラク・ダリア〉と名づけた。この猟奇殺人はロスの犯罪史上まれにみるセンセーショナルな事件として取沙汰されたが、実際の事件のほうは未解決のまま現在に至っているのである。
エルロイがこの猟奇的事件をモチーフにしたのは、10歳のときに娼婦のようなことをしていた母親が殺害されたことにあったようである。自らを「アメリカ文学界の狂犬」と名乗るエルロイにとって、このノワール小説は生まれるべくして生まれた作品ともいえる。
物語は、元ボクサーであるロス市警巡査たちの、壮絶なボクシング試合のシーンから始まる。英雄と密告者という対照的な二人の警官。後にパートナーシップをとった二人は、彼らの間に一人の美しい女性を挟んだまま、ダリア事件の謎に運命を狂わされていく。
太陽の光なんて見えない、かさかさと乾いたロサンゼルスの風景。まるでそれが象徴されるように、戦後40年代のロス警察の暗部が緻密な描写で暴きだされていく。そこでは人種差別がまかりとおり、犯罪者の人権などなきに等しく、暴力的な取調べは当たり前、足の引っ張り合いと汚職に満ちた日々が続いていくのである。それがあまりにも淡々と語られていくので、自分の心も乾いていくようであった。
捜査にあたる二人の主人公も決して清廉潔白ではない。どちらかといえば破滅的で己の欲望に正直である。その彼らがこの事件をきっかけに自分の過去と向き合わざるを得なくなる。だが、自身の抑えがたい想念はいつまでたっても茫漠としていて掴みどころがないのである。ダリアと瓜二つの大富豪の娘と性交渉をもつ異常性。彼女に執着する一方、彼女の一族にまつわるドス黒い秘密を暴こうとする。終盤、事態は二転三転とし、徐々に事件の謎が解明されていく様は目が離せない。息詰まる緊迫感、息もつかせず展開は見事である。もちろん本書は謎解きが主眼ではない。目に見えぬダリア像に翻弄され、過去のトラウマから奇行に走り、狂気と欲望にまみれ、己の悪夢にさいなまれていく男たちの話である。
では、ブラック・ダリアが意味するものは何であったのか。たしかにブラック・ダリアは美しかったが、所詮、娼婦なのである。スターでもなければ、言うなればただそれだけの娘である。なのに「私がそのすべてを解き明かさなければならない謎の女」として思いつめ、振り回されていく人生とはなんであったのか。ロスの光と闇について、しばし考え込んでしまう作品である。主人公がまるでエルロイ自身のようであり、彼の暗部を抉り出して見せてくれた作品でもあった。
ところで、ダリアに振り回されて破滅への道を急いだ男たちだが、ラストの爽やかさには驚いてしまった。さて、二作目の『ビッグ・ノーウェア』ではロスの暗黒がどういうふうに描かれていくのであろうか。楽しみである。
そうそう、本書のカバーは実在のエリザベス・ショートを描いたものである。
それから、ブライアン・デ・パルマ監督作品の「ブラック・ダリア」の公式サイトはこちらです。